極暑が続きましたがステーションスタッフ一同、ネッククーラーやソリタ水やソリタ水ゼリーアイスを手に握りしめながらなんとか乗り切ってきました。入浴介助で大量の汗をかいて、はじめて手の引きつりを体験して(結構痛いものですね)笑っちゃいながら食事介助を左手でしたり。
その間も大切な方とのお別れがありました。ラーメン好きの50代男性は癌末期の腸閉塞で嘔吐しながらも、学生時代桂花ラーメンが好きでバイトしていた私(所長)の話しを楽しそうに聞き、「ぜひ食べられない自分の代わりにうしじま(東区)のラーメンを食べてきて」と言っていました。暑い暑い6月のこと。なかなか行けずにいるうちに6月上旬に出血し病院で急逝されました。最期の居場所は迷惑をかけなくないというやり手営業マン紳士でしたからバックベッドも準備していましたが、スルリと抜け落ちた感覚があってナースとして存外のダメージでした。カンファレンスで自分が最期まで看取りたかったという傲慢さ故の感情なのだと気づきました。彼は楽になれたはず、ご苦労様でした、なのです。気持ちに整理がついたのかうまいラーメン食べることができました。感謝!
本日もあまり時間が残されていないかもしれない30代の方とこれからの過ごし方を話しました。妻は「死ぬということ」は受け入れられない、とブロック感。私は死を受け入れるというよりも、もしも残された時間に限りがあるのであれば治療でよくなること(かなり厳しい状況)を期待しすぎて病院に振り回されてばかりでなく、もうひとつの可能性として限りがあるならば自分の人生を家族と生ききるということも視野に入れてもよいかもと思う、ご本人の願いや希望をかなえながら一瞬を大切にと願っているということをお話ししました。もしかしたら時間が残されていないのかもしれない、だから、と準備しておきながら緩和ケアを我々がしっかりすることで、体調を整えながら過ごすことで時間の神様を招くこともありますね。今日もスタッフがマッサージやリラクセーションをして免疫を高めようとしていました。せめてほっとする時間、あたたまる時間、だれかがそばにいて全面的に支えようとしている素敵な時間だなと思いました。
「非存在の存在」 私も父を12歳で亡くしましたが若くてやさしく朝の登校を「いってらっしゃい、気を付けて」と見守ってくれた最期の笑顔がいつまでもこころの中にあります。存在しているよりも強い力で支えてくれる父に感謝です。兄も肺がん治療を中断し生きたいように生ききりました。立派だな、強いなと誇りに思います。
おいしいラーメンを食べさせてくれた彼に感謝して、またどこかでお会いしましょう、会いたいです。
本気で看護をしたい看護師さん募集中です!!在宅看護の充実感を一緒に体験したいです。