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生まれた日に逝く

この日はその方が生まれた日でした。わたしたちはお誕生日までは、と願っていました。癌末期でご自宅で過ごしたいと点滴や痛み止め、酸素を用いてなんとかご家族との大切な時間を生きて生きて生き抜かれました。

まだ歩き始めたばかりのステーションです。ご利用者様のお誕生日になにかを表したくて小さな花束を準備しました。近所のお花屋さんに「どのような方ですか?」と問われ、スタッフは「今年が最期になるかもしれない高齢男性です。」と伝えたためか、ぎっしりと素敵な花束でした。ケアが終わってハッピーバースデイを歌いながら奥様とともにお渡ししました。やっと目を開けられる状態でしたが、お花をみて回らない口で「ど・う・も・あ・り・が・と・ご・ざ・い・ま・す」と。それがその方の最期の言葉でした。その4時間後に逝かれました。「〇〇様がこの世に生を受け、出会うことができたことに心から感謝しています。」というメッセージカードを添えましたが私達は涙で読めませんでした。ちょっぴり、後悔です。写真には奥様の素敵な笑顔があります。その日の0時にはスタッフが鎮静評価で伺っており、おめでとうとともに「いくつになりましたかー?」の質問に「〇〇歳」と正確に元気に答えられ、ご家族みなさんで笑いとともに共有されビデオに残されたそうです。ご自宅ならではの光景です。

在宅での看取りにはご本人とご家族の「覚悟」とそれを支える訪問看護師の「覚悟とリード」が必要だなと痛感します。告知をしっかりと受け止めている方でその意思は最大限尊重され最善は尽くされたと思います。そのためにも症状緩和が何より重要です。そして寝ずに世話されたのに「私は夫とこれまで何を話してきたのだろう、何ができたのだろう、、」と揺れるご家族の気持ちに寄り添いながら、関わる人たちの「納得解」をこれからも模索していきたいと「覚悟」をさせていただいた貴重な経験です。

お誕生日の花束を手に妻との最期の時間

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